美術検定の正倉院関連の問題には、出題ミスが多い印象があります。2012年の2級では正倉院関連の問題が2問出題され、一つは《白瑠璃碗》がササン朝ペルシアで制作されたことを問う標準的な問題でした。しかし、もう一つの問題には複数の正解が考えられる悪問が含まれていました。
では実際に問題を考えていきましょう。
問題
Q13 正倉院の説明として、不適切なものはどれですか。
① 白鳳時代の名宝数十万点を収める宝庫として知られる。
② 東大寺のなかで唯一残っている創建時の建築である。
③ 聖武天皇遺愛の品々を収める。
④ 高床式建築である。【解答】①
美術検定実行委員会編 『美術検定 2級 練習問題 2013 マークシート問題対策』p.248,266
解答・解説
公式の解答は①のみとなっていますが、②も誤文であると考えています。問題集には解説がありませんので、独自に各選択肢について考察していきます。
③「聖武天皇遺愛の品々を収める。」は正文です。聖武天皇崩御後の天平勝宝8歳(756年)6月21日、光明皇后が聖武天皇の遺愛品や薬物などを東大寺の大仏に奉納し、それらが東大寺の正倉に収蔵されたのが正倉院宝物の由来です。その後東大寺の法要で用いられた仏具や帳簿などが加わり様々な由来を持つ宝物群となりました。
④「高床式建築である。」も疑いのない正文です。正倉院は床下約2.7mあり、40本の柱が宝庫を支えています。このように湿気や虫から宝物を守るのに適した造りになっています。また宝庫のうち北倉と南倉は三角形の材木を井桁に組み上げた校倉造、中倉は板倉造になっています。
①「白鳳時代の名宝数十万点を収める宝庫として知られる。」は明らかに誤文です。正倉院は主に天平時代の宝物を多く収めており、その件数は数え方により異なりますが、約9,000件とされています。それに対して、白鳳時代の名宝を多く収蔵するのは現在東京国立博物館が所蔵している法隆寺献納宝物です。しかし法隆寺献納宝物の数も約300件に留まります。
加えて②「東大寺のなかで唯一残っている創建時の建築である。」も誤文と考えています。東大寺の建物の多くは戦乱や落雷などで度々焼失しており、創建当時の建造物は僅かしか残っていません。創建当時から東大寺に伝わる建造物には、法華堂(三月堂)、転害門、そして正倉院正倉などが挙げられます。それぞれの建築年代について考察します。
まず、東大寺最古の建築とされるのが法華堂(三月堂)です。『東大寺要録』や科学的調査によると、法華堂は天平5年~天平19年(733年~747年)の創建と考えられています。正堂と礼堂からなり、当初は双堂形式の建物でしたが、鎌倉時代に改修され現在の形態となっています。堂内には国宝の不空羂索観音像や執金剛神像など天平文化を代表する錚々たる仏像が安置されています。
転害門は天平宝字年間(757年~765年)に建立された三間一戸八脚門の形式をもつ門です。鎌倉時代に改修が加えられていますが、創建時から残る数少ない遺構です。
正倉院正倉の正確な建築年代については資料がなく明確ではありませんが、遅くとも天平宝字3年(759年)までには完成していたと考えられています。その後、鎌倉時代の落雷や老朽化などに対して何度も修理が加えられ、現在までその姿を保っています。
以上のように、正倉院以外にも天平時代からの建築物がありますから、正倉院を「唯一残っている創建時の建築」とするのは誤りです。
「唯一」などの強い表現を含む選択肢は誤りが多いというのは有名な受験テクニックですが、本問でもそれが当てはまり、なおかつ美術検定側が誤文を2つ用意する結果となってしまっています。
このように美術検定で出題された正倉院の問題には出題ミスが多発しています。問題のチェック体制がどうなっているのか、この年の受検者には何らかの救済措置が取られたのかが気になります。
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