美術検定2級テストゼミ 西洋美術史 第1回 古代~近世

美術検定2級テストゼミ_西洋美術史_第1回_古代~近世 美術検定

解答・解説

問1

【解答】④

【分野】原始美術

【難易度】★★☆☆☆

【解説】旧石器時代の後期になると、洞窟絵画や彫刻などの美術的作品が現れます。これらには狩りの成功や多産などの呪術的な意味があると考えられています。尚、年代については諸説ありますので、ここではその一つを採用しています。

美術検定対策で言えば原始美術はほぼ出題されませんので、時間がなければ後回しでも問題ないと思います。

×① ヴィレンドルフ(Willendorf)遺跡はオーストリアにあり、この地で《ヴィレンドルフのヴィーナス》(紀元前25000年頃、ウィーン自然史美術館)が発見されました。この石像は豊かな乳房と臀部を持つスティアトパイグス型と呼ばれる女性石偶です。

×② ラスコー(Lascaux)洞窟壁画は南フランスにある洞窟絵画で、主に旧石器時代のマドレーヌ期(約2万年前~約1万年前)に描かれました。写実的な動物の表現や狩りの情景が描かれています。

×③ アルタミラ(Altamira)洞窟壁画は北スペインにあり、主に旧石器時代のマドレーヌ期(約2万年前-約1万年前)に描かれました。野牛(ビソン)やイノシシなど動物が主に描かれています。

○④ ショーヴェ(Chauvet)洞窟壁画は南フランスにある洞窟絵画で、紀元前3万1000年頃に描かれた現存最古の美術作品とされています。ヨーロッパでは絶滅した野牛やサイなどが描かれています。

問2

【解答】②

【分野】古代ギリシア ヘレニズム

【難易度】★★★☆☆

【解説】ヘレニズム(Hellenism)はアレクサンドロス大王の死からプトレマイオス朝の滅亡までの約300年間にわたるギリシア的な文化・思想を意味します。アレクサンドロス大王の東方遠征後、ギリシア文化がオリエントに流入し、オリエント文化と融合して形成されました。都市に居住したギリシア人によって担われ、ポリスや民族に囚われない世界市民主義や個人主義的な特徴を持ちます。ヘブライズム(ユダヤ教やキリスト教的な文化・思想)と共にヨーロッパ文化の根底をなします。美術史的にはヘレニズム期には写実性と精神性を兼ね備えた大理石彫刻が多く、後世にはルネサンスの美術に大きな影響をもたらしました。

×① ドイツの歴史学者ドロイゼン(Droysen、1808年~1884年)が著書『ヘレニズム史』の中で初めて使用した用語です。それまであまり評価されていなかったヘレニズム期を再評価しました。

 イギリスの歴史家アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee、1889年~1975年)は、諸文明の成長法則とそれらの精神史的連関を解き明かす事に努め、現代の世界史学に大きな問題を投げかけました。主著に『歴史の研究』があります。

○② ビザンティン文化はキリスト教文化を母体にしながら、東方の文化を取り入れたヘレニズムの伝統、古代アジアやササン朝ペルシアの文化の影響が加わり成立しました。神と皇帝の超越性を強調し、また精神的、神秘的なものを求める伝統から、重厚で豪華な様式が特徴です。様式はほぼ変化することなく1000年近く続きました。

×③ インドでは仏像が作られるまで釈迦は法輪や仏足石、菩提樹などで表現されていました。クシャーナ朝(クシャン朝)下の1世紀頃、ヘレニズム彫刻の技法と造形思想に仏教が融合し、ガンダーラ地方でギリシア風の仏像が制作され始めました。この仏教美術をガンダーラ美術と言います。
 グプタ朝は4世紀に登場したインドの統一王朝です。この時代はインド古典文化の黄金時代とされます。ギリシア風のガンダーラ様式の影響から脱却し、純インド的な美術様式のグプタ様式が現れました。

×④ 《ラオコーン》、《ミロのヴィーナス》、《サモトラケのミケ》などはヘレニズム期を代表する作品ですが、《クリティオスの少年》はクラシック期を代表する作品です。

問3

【解答】①

【分野】ローマ美術

【難易度】★★★☆☆

【解説】帝政期のローマでは、皇帝の業績をたたえるために歴史浮彫が盛んに造られました。写真は《トラヤヌス帝の記念柱》(113年頃、ローマ・トラヤヌス広場)です。トラヤヌス帝がダキア(現在のルーマニア)に征服した事を記念して造られた大理石製の高さ約38mの円柱で、螺旋状に彫られたレリーフにはダキア戦役の様子が描かれています。ローマ軍や捕虜となった敵が画面を埋め尽くすように描かれ、トラヤヌス帝は大きく強調されています。またトラヤヌス帝の時代のローマ軍の様子を伝える史料としても重要です。

○① トラヤヌス帝(Torajanus、在位98年~117年)は五賢帝の一人です。トラヤヌス帝はダキア(現在のルーマニア)に遠征して属州とし、パルティアを破りメソポタミアを征服するなど、ローマ帝国の最大版図を築きました。

×② ハドリアヌス帝(Hadrianus、在位117年~138年)も五賢帝の一人です。トラヤヌス帝の対外積極政策から内政整備と辺境防衛に転換し、ブリタニア(現在のイギリス)に「ハドリアヌスの長城(Hadrian Wall)」を建設しました。

×③ ウァレリアヌス帝(Valerianus、在位253年~260年)は軍人皇帝時代のローマ皇帝です。260年にエデッサの戦いでササン朝ペルシアのシャープール1世に敗れ、捕虜となりました。シャープール1世はこの戦勝を記念して、ナクシュ・イ・ロスタム(Naqsh-i-Rustam)に、騎乗のシャープール1世と降伏するウァレリアヌス帝を描いた浮き彫りを造らせました。

ウァレリアヌス帝とシャープール1世

×④ コンスタンティヌス帝(Constantinus、在位306年~337年)は313年のミラノ勅令でキリスト教を公認しました。330年にはコンスタンティノープルに遷都しました。

問4

問5

【解答】④

【分野】中世美術 教会建築

【難易度】★★★☆☆

【解説】中世の教会建築に関する問題は毎年1問は出題されています。

×① ナルテックス(narthex)は玄関間、拝廊とも呼ばれ、教会建築において正面入口と身廊本体の間に設けられる広間です。本来信徒以外はここまでしか入れず、聖堂内の典礼には参加できませんでした。外気に対して閉鎖される空間である点が外気に開放された空間であるポーチと異なります。

×② トランセプト(transept)は翼廊とも呼ばれ、バシリカ式の聖堂における十字形平面の両腕部を意味します。

×③ タンパン(tampan)は、玄関上部のアーチと梁に囲まれた半円形の部分の事を言います。レリーフなどで装飾されたものが多いです。

○④ アプシス(apse, apsis)とは、建造物端部の半円形もしくは多角形の突出部を指します。キリスト教の教会建築では司教座や祭壇が設けられます。

問6

【解答】④

【分野】中世 イスラム建築

【難易度】★★★☆☆

【解説】アルハンブラ(Alhambra)宮殿はイベリア半島最後のイスラム王朝だったナスル朝の首都グラナダにある宮殿です。13世紀に建造されスペインにおける西方イスラム文化を代表する建築です。アルハンブラとは、アラビア語のアル・ハムラーに由来し、「赤い城」という意味です。建物は華麗なアラベスク模様で飾られ、噴水のある中庭なども有名です。

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×① トレド(Toledo)はスペイン中部の都市で、西ゴート王国の都でした。12~13世紀にはカスティリヤ王国のもとでアラビア語の学術書がラテン語に翻訳され、12世紀ルネサンスや14世紀以降のイタリア=ルネサンスに大きな影響を与えました。マニエリスム期の画家エル=グレコはトレドを中心に活躍しました。

×② コルドバ(Cordoba)はイベリア半島内部の都市です。後ウマイヤ朝の都とされ、西方イスラム世界の中心として政治・経済・文化の中心となりました。

×③ セビリャ(Sevilla)はイベリア半島内部の商業都市です。一時期はイスラム王国の一つとして自立していた事もあります。大航海時代には拠点とされ、新大陸の富が集まり大いに繁栄しました。またベラスケスやムリーリョの出身地としても有名です。

○④ グラナダ(Granada)はイベリア半島南部にある、イスラム王朝のナスル朝最後の都です。1492年にキリスト教のスペイン王国により陥落し、レコンキスタが完了しました。

問7

【解答】④

【分野】イタリア盛期ルネサンス

【難易度】★★★☆☆

【画像】 ラファエロ・サンツィオ《アテネの学堂》フレスコ、底辺約770cm、1509年~1510年、ヴァティカン宮殿

【解説】この作品はラファエロ・サンツィオ《アテネの学堂》(1509年~1510年、ヴァティカン宮殿)です。ヴァティカン宮殿「署名の間」に壁面にフレスコ画で描かれました。

古代ギリシアの哲学者がモチーフになっています。中央左の天を指差している人物はプラトンで、イデア論を表現しており、中央右のアリストテレスは掌を地面に向け形相を表しています。他にもユークリッドやヘラクレイトスなど古代ギリシアの知識人や、擬人化された文法・幾何学・天文学などの教養科目が、思索や議論をしています。この絵では理性によって獲得された真理が表されています。

ラファエロは同時代の画家や自身をモデルにして描いています。プラトンはレオナルド=ダ=ヴィンチ、ヘラクレイトスはミケランジェロをモデルにしています。右端の黒い帽子を被った人物はラファエロ自身と言われています。

背景は荘厳な建築物であり、ブラマンテ設計のサン=ピエトロ大聖堂と調和しています。

問8

【解答】①

【分野】マニエリスム

【難易度】★★★☆☆

○① ヴァザーリ(Vasari、1511年~1574年)はマニエリスム期の画家・建築家です。メディチ家に仕え、画家としてはヴェッキオ宮殿の壁画《シエナ攻防戦》、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドーム天井画《最後の審判》が、建築家としてはフィレンツェ官庁舎、ウフィツィ宮殿が代表作です。ルネサンス期の画家の業績をまとめた『芸術家列伝』はルネサンス研究の基本的史料とされています。

×② アルベルティ(Alberti、1404年~1472年)は建築家・人文学者で、芸術全般に通じており「万能人」と称されました。『絵画論』や『建築論』を著し、ルネサンス芸術を理論的に支えました。建築家としてはフィレンツェのルチェライ宮やサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサードが有名です。

×③ ブルネッレスキ(Brunelleschi、1377年~1446年)は初期ルネサンスを代表する建築家です。若い頃は彫刻家として出発しましたが、1401年のサン・ジョバンニ洗礼堂門扉のためのコンクールでギベルティに敗れてからは、主に建築家として活躍しました。フィレンツェのサンタ=マリア=デル=フィオーレ大聖堂の大円蓋やサン=ロレンツォ聖堂などが有名です。遠近法の発見もブルネッレスキによるものと言われています。

×④ ブラマンテ(Bramante、1444年~1514年)はイタリア盛期ルネサンスを代表する建築家です。ウルビーノでの修行後はミラノの宮廷に仕え、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の設計に関与しました。1503年からはローマ教皇ユリウス2世に招かれサン・ピエトロ大聖堂の修築の主任を任されましたが、生前には完成せず、ラファエロやミケランジェロに引き継がれました。古代建築を模範としながら、壮大で調和のとれた建築が特徴です。

問9

【解答】③

【分野】北方ルネサンス

【難易度】★★★☆☆

問10

【解答】③

【分野】マニエリスム ハプスブルク家

【難易度】★★★☆☆

【解説】1576年に神聖ローマ皇帝に即位したルドルフ2世は、1583年首都をウィーンからプラハに移転しました。ルドルフ2世は芸術や学問を保護し、プラハ城に美術品や海外の珍しい動植物などを収集した「驚異の部屋」と呼ばれるプライベートミュージアムを作りました。現在そのコレクションの一部はウィーン美術史美術館などで展示されています。

×① 神聖ローマ皇帝フェルディナント2世(Ferdinand II、在位1619年~1637年)はベーメン王だった時にプロテスタントの住民にカトリックの信仰を強要したため反乱を招き、三十年戦争を引き起こしました。

×② 神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世(Maximilian II、在位1564年~1576年)はルドルフ2世の父に当たります。宗教的にはプロテスタントに比較的寛容でしたが、宗教対立の対処には成功せず、対外的にもトルコとの戦いに敗れました。

○③ 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(Rudolf II、在位1576年~ 1612年)はマクシミリアン2世の子です。政治的な能力には恵まれませんでしたが、芸術や学問を保護し、アルチンボルドやティントレットなどの芸術家や、ティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラーなどの学者を保護しました。

×④ スペイン国王フェリペ2世(Felipe II、在位1556年~1598年)は、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインハプスブルク家最盛期の国王です。しかし、プロテスタントに不寛容であったため、オランダ独立戦争を招き、1588年には無敵艦隊がアルマダの海戦でイギリスに敗北するなど、スペイン没落の兆しが現れました。

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